昭和40年07月25日 夜の御理解
私は人間が小さいからでしょか、神経が小さいからでしょうか、もうちょっとした事がちょっとした事が、あの気になってちょっとした事がいいなと思ったり、有り難いなとか思ったりかなり極端ですけれども。私表へ出るたんびにあの思う事ですけれども、その出るたんびに出ておったらそれを言う事ですけれども、あのあちらのはいり口にあの小さい盆栽がいくらも置いてある中へですね。この位ばっかりのあの植木鉢に。
この頃あの山本のいとこの子供が、妹があちらに参りました時に、お婆ちゃんにこれあげるち言うてからあの、親指くらいなあのあれはサボテンの花ですね。親指くらいなサボテンなんです。その上にあの真っ赤な花がと思ったらですね、真っ赤なサボテンがある。花ならばしおれるだろうけれど、よく見たらなんかサボテンなんですね。
こう親指くらいの赤いつめぐらいな花のような真っ赤な、初めて見たんですけれども、可愛いな可愛いなと思うんです。あの可愛いなぁとこう思う心がですね、神様に通うのは。いいなぁとこう思う心なんです。それが反対にちょっと、あげなんとのちょっと、どうかしときゃよかとこでと。例えばと思うと致しましょう、ちょいと取り除いとけばいいのにとこう思う心が、もう神様と私共と遮断する様なものですから。
私共の環境とか、周囲なんかにですね、いいなと可愛いなと言った様なものが、いっぱいなからなければいけないと、言う事になるんですけれどもね。私はあのその通るたんびにそれを実感する、可愛いなとこう思うです。そんなことを、私御祈念の時に思わせて頂いとりましたら、今日福岡の高橋さんが、お礼に出て見えましてから、あのあちらのお父さんが、九州中の寿司屋の組合を回られるために、高橋さんの車を使って、昨日から行っておられるんですね。
それにあの行き掛けにですね、ほんの出てすぐのところで自動車から、後ろの自動車から、この胴腹をボンとこう、ぶつけられちゃるわけです。ドアが2枚って言うですから、丁度真ん中でしょうね。ドアが2枚ながら代えなければならんように、勿論それだけで、あの怪我一つしなかったですけれども、どんなもんでしょうか。あれは大体私が使って、もう神様の御用に、いつでも仕えられる様にしとかなければならないのを。
私が人間心出してです、もう一台のほうにはルームクーラーが入ってないものですから、その・・・?しないものですから、それをついそのあれに乗っていけと言うて、その乗らせたのが悪かったのだろうか、と。それから又いらんこと、そのそれが警察の問題になってから。もう当然、全額弁償してもろうてよい筈なのに、いらんことその警察がですね、これはぶつかったちゃろうけれども。
やっぱりぶつけられた方もちった悪かっちゃから、まあ6分4分、6分くらいでですね、話をつけたらどうかな、とこう言われるものですから、もう治まらないものがあるわけなんですね。まそれやらこれやら、あの一応お届けがあったんですけれども、そういう時に、高橋さん私ならこう思うだろう、私ならこうするばのという事を話たんですね。それはあの、今日ぶつけられた時にです。
例えばあのぶつかった方が、あの勿論すいませんですけれどもです、それが私があの私は心の中で、反対にすいませんでしたと願うとこう思うと言う事です。これはぶつかられたと言う事です。ぶつかられても私は矢張りそうなんです。私はそこに行きさえせにゃ向こうはぶつかるといった災難に、合わんで済むんですけどね。ですから勿論それは根本的に神様を分からせて貰え、廻りの取り払いと言った様な事をです。
実感させて頂かなければ、どういう事でも言える事でもなかろうと、こう思うですけれども。もう当然向うが悪いのだけれども、こっちがすいませんいぁどうもすいませんでしたと言う様なですね、いやぁそれは私の方が悪いから私の方が弁償致します、とこう言えばまた別だけれどもです。それを警察まで持っていってそれをあのいくら出せ、払えと言う様な事を私ならおそらく言わんだろうと言った時の事を頂くんですね。
そう言う様な心の状態がです、私は神様からご覧になったら、私が小さい親指ぐらいのサボテン、しかも普通のサボテンじゃな真っ赤な花の様なサボテンが、ちょっとくっ付いてる、親指のつめぐらいの。それを外へ出て見るたんびに可愛いなと思う。ちょっと見てご覧可愛いねって、誰かがおったら必ず呼ぶんです。というほどに可愛いらしいんです、そのサボテンが。ね。ですからあの私の心の中に、可愛いなとこう思う心が、神様にも通うならですね。
神様は私のどう言う所に、可愛いなと目を付けて下さるだろうかと言う訳なんです。当然先方が悪くてもです、向うがぶつかられてからです、ね、ポンとぶつかられといてから、いやどうもすいません、お手数をかけましたとかえって言う様な心持ちなんです。そう言う様な心持ちが、神様の目からご覧になったら、可愛いなとお思いになる事であろうと私は思うたんですけどね。大体信心させて頂いて、物の見方考え方が変わってくるというのはね、そういう風な見方に考え方に変わってくるのが、私は本当ではないかとこう思うんですね。
おかげを頂きました。